今回の実家帰省は、スイッチオフ状態ながらもたくさんの愛と安心をもらったなあと思うところとブロックに気付かされることがたくさんあった。
高校時代の友人たちの話題が結婚してるかどうかと子ども産んでるかどうかみたいな話がメインで、その時の私は妻でもママでもない一人のわたしとしての人生が(勝手に)蔑ろにされてる気分になり、、、もちろん勝手にね。笑
姉家族とも子どもの話、実家でも親戚でいとこが結婚するだのしないだの、うちはみんな結婚して子どもがいて家も持って働いていかに偉いかみたいな話で、、、
もちろん今ある状況が幸せだから、その価値を話してるんだろうけど、それがみんなの当たり前だよねー!みたいな空気を(勝手に)感じて、わたしは違うんだよー!って叫びたい気分になった、、、というか実際に主張して浮いて恥ずかしい気分になった
ただ間違いなく娘が生まれてから母への見方が変化しているのは事実で、少しずつ母へ許しのような感覚が出てきていた。
で、とにかく今は娘に対して色々手をかけてくれるなあと思っていて。
私が気の回らないところまでアイデアがすごいなぁと感心していた。
逆にわたしが子どもの時もこんな風に手をかけてくれたのかなあって思い返していた。
子どもの頃の記憶って、なんか印象的なことを覚えているから、わたしは母のことをヒステリックで怖い存在だったイメージが残っていた。
だけど娘への愛情を見て、わたしもこうやって手をかけてもらっていたのかもしれないなあと思い出せたのです。
もちろん孫だから、子どもに対してよりはもっと余裕があるのかもしれないけど、、、
一定じゃなくても母なりに愛情があったし、この家庭に幸せを感じていたんだねと思い、過去のわたしも癒されたような気持ちになりました
それに両親が文句を言い合いながらも、子どもが巣立てば夫婦が残るし、なんだかんだ支えになってるんだなあって姿とか見てあーやっぱりお母さんは幸せだったんだと。
なんか上手く言えないけど、人それぞれの価値観はその人にとってはそれが良くて選んできたこと。
ただ反応してるのはわたしってことだけ。
家族のどんな表現も其々に愛なんだと思えたところで、なんか芯の土台が安定した感じ
あとはわたしが好きな人生を創造する
ここはいくらわたしを思ってくれる家族でも、わたしをコントロールはできない。
わたしが選ぶんだ
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