今日職場で話していた話。
今日は大好きな後輩ちゃんのカラダをお手入れしていて、その子はわたしの憧れボディの持ち主でもあるんだけど、
その後輩ちゃんはずっと生理の不調を抱えていてね、
そういう話を聞くと、昔は問題じゃ〜!問題じゃ〜!ってサイレン鳴らして、解決のための原因、犯人を突き止めねばっ!!くらいの使命感を持っていた
カラダの中の嫌なところ、しんどいところ、病気なところ。
カラダも目を向けてほしいから、気にかけて労わってほしいから、合図をくれ続けるんだと思う。
それは不調な合図がくるのは自分を大切にしていなくて、不調じゃないところは大切にしているのかっていう話ではなくて。
例えばカラダを労わってるから妊娠して、労わっていないから妊娠しないってわけじゃないじゃない?
だからタイトルにしたように、その人にとってその不調な部分は、気にかけるくらいでちょうどいい場所っていうだけなんだって思えたの。
わたしにとってはここを温めるくらいがちょうどいいとか、食事を気にかけるくらいがちょうどいいとか。
世界にたった一人しかいないわたしの取り扱い説明書を知っていくだけなんだって。
そうしたらさ、なんかわたし癒されたんだ。過去のわたしが癒された。
今や子宮系絶好調なわたしですが、かつては婦人科系トラブルありまくり時代があったから、周りと比べて普通に機能しないカラダをわたしを責めていたんだ。
だからこのことに気付いてすごくすごく癒された。
わたしは子宮を気にかけるくらいでちょうどいい人だっただけなんだって。何が悪いでもない。ただそれだけ。
もちろんどうしたら心地いいんだろうって歩み寄るのは大いにオッケイ
気にかけるくらいがちょうどいいベースが当たり前になった時に、ふと不調はなくなるのかもしれない。
もしなくならなかったとしても、問題視しないでいくことで、見えてくるギフトはたくさんある。
同じように癒される人に届きますように
秦野市 アロマサロンsui