ここ2日くらいだけど、ひたすらamicalのブログを読んでいます
理解はできてないけど、面白くてひたすら読んでいます
その中でわたしはわたしを所有しまくっていて、コントロールしようとわたしと戦ってるんだなあと思った。しかもわたしわたしばっか言ってるし!笑
でもわたしじゃなくなるってどんなん?
全然わからないんだけど、実際今コントロールを手放すって段階に来ているんだと思う
先月まで2カ月、健診までの張りぼてのコントロールするダイエットをして、結果が出ているときはそれでいい感じだと思ってたんだけど、絶賛反動中で疲れてしまっていて、、、
そのままうまくいってたら、コントロールすればダイエットできる、コントロールしないとダイエットできないを握りしめていることになったのかもしれない、、、
カラダはコントロールできないし、する必要もない。自然や天気と同じように委ねるだけ。でももちろん愛を送ることはできる
的なことを何度も聞いていて、頭でその言葉が浮かんでも、コントロールを手放すことが怖くてなかなかできなかった
カラダを全面的に信頼して委ねると、どうなっちゃうかわからないことが怖い、、、
思いもよらないいい展開もあるはずだけど、怖いを握りしめているってことは、救いようがない悪い事態をイメージしちゃっているということだ
現実になってもいないのにそのイメージの方がよっぽど恐ろしい
何もわかったようなことは言えないんだけど、ただここ数日でヘロヘロながらも、amicalからキーワード的なことをいくつか感じている
ラベルを剥がしてみるとか、自分が周りを見張るではなく空間全体から愛を送られているイメージとか、、、
シータでやるようなあらゆるものとのコミニュケーションって可能なら、カラダに求めてるものを聴くのもいいけど、食べ物側に聴いてみるのも楽しいのかなーなんて思ってみた
食べ物のいのちを活かすつもりの食事なんて、すっかり忘れていたんだなあ、、、
秦野市 アロマサロンsui